これまでの感謝と、思うところ

皆さんお久しぶりです。
一年のうち正月のご挨拶だけ、ハガキ一枚での連絡だけでは不義理だとは思いますが。

元気で過ごしております。というより元気だけでやっております(笑)。
大きな変化は何もないので、少しづつ歳を取り、色々あるであろうこの先のアレコレに目をつむり耳を塞いで歩いている毎日です。

僕の周りの静かさの一方で、世間は変化し続けていますね。
この年賀状という行事も、もはや廃れつつあるものだということがハッキリと感じ取れるものになっています。
それは若年層の中でのばかりではなく、我々よりも上の世代の方々の間でも「年賀状じまい」などと終活的な、フレーズ先行感がなきにしもありませんが、でも確かにそういう流れがあるらしいです。

そんな時代にさらに追い打ちをかけるように、先日日本郵便がこの先の郵便物に対する値上げを申請する予定だというニュースがありました。
具体的にいつから、というものは今後分かっていくものでしょうが、いずれ変わるのは確実でしょう。何もかもがコストアップしているのですから致し方のないことです。

皆様の生活でも、苦労を感じたり工夫してしのいでいることもあるやもしれません。必要のない部分のコストを削ったりね。
そこで俎上に載せるのが、今後の年賀状どうするか問題です。

僕の年賀状の送り先は、基本大きく年齢の離れていない同世代といった方々ですから、なんとなく同感いただけるかと思いますが、小学校教育を受けて以降、お世話になった方には年賀状を出しましょう、友達にも年賀状を送りましょう、が行き届けられたしつけの一環だったかと思います。
全体がそうであったからこそ年賀状は国民全体の年中行事であり、時期になればプリントゴッコのCMも流れていてその雰囲気を強化していたわけです。
しかし理想科学という会社もとうになくなっており、携帯電話普及以降のコミュニケーション手段の変化で年始の挨拶もどんどんイージーでカジュアルで低コストなものになりつつあります。なんでも家庭用プリンターに使うインクの出荷数も減りつつあるのだそうです。

値上げ前の今回が、「年賀状じまい」になるという人も少なくないのでしょう。
僕の年賀状が届く先のご家庭で、そのような判断になるのも特段不思議だとも思えません。それぞれのご都合があるかと思います。
生きてくの大変ですからね(実感)。

なのでまずはここまでの長いあいだお付き合いいただいた皆様の御厚情に心よりの感謝を申し上げます。
このやりとりすらなくなれば、僕は「あいつ生きてんの、死んでんの?」のナントカ猫状態になるのかもしれませんが、どっこい僕は頑健だけが取り柄なのでなんとかやっていることでしょう。
ずっと先のことはわかりませんが、この先数年はまだこちらから年賀状をお出しするかもしれません。僕の送り先全て合わせても追加コストは百円二百円程度ですし。
それは返信を強要するものではありません(当たり前ですが)。


ともあれ、まだ先はそれなりにあるはずですが、それでも人生も後半です。
厳しく、先の見通せない世の中になっていくのでしょうが、皆様の今後の末永い健康と幸せを心より願っております。
月並みなことしか言えませんがそんな感じです(笑)

それでは、お達者で!
令和5年12月25日 伊藤知生

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